もっちーこと望月慎一郎君の楽曲とピアノは独特の美意識を備えつつ現代のサウンドを自然に纏っていて、そこにベース中島仁さんの、優しい人柄とストイックさが前面に出た音が合わさり、実に気持ちよく演奏できました。現場の音響もとても自分好みで、大きい音と小さい音が自在にコントロールできる良い響きと空間がありました。
チロルのすぐ近くに「安曇野スイス村」というのがあるんですが、ここチロルと近くの「アートカフェ清雅」での音の響きは、まさにスイス本国で演奏した時の響きそのものでした。演奏だけでなく、ホテルのドアを閉めた音が「バーーーーーーーン」と超ラージホールリバーブがかかったように響く、それがスイスの印象です。諏訪地方もスイスとの共通点が多いと言われるそうですが、これは山岳に囲まれた地形と標高、空気の澄み具合から生まれる「土地の音」なのかもしれません。
正直に告白すると、この日はメンバーのオリジナル+マニアックな曲のみで100%固めてしまっていましたが、大半が初めてお会いするお客様であったため、楽しんで頂けるかどうか内心不安と緊張があり、終了後は放心するほど張りつめておりました。
しかし全くの杞憂、ただ目の前で起こる事を何の先入観もなく受け止めて頂けた感触がありました。終わってみれば、その不安は自分の内面の問題で、自分の作った楽曲ラインナップを信じていなかった事と、その日に来て下さるお客様の感性を信じていなかった事が原因で、先回りしてあれこれ懸案していただけだったなと反省しました。
まあ、そろそろ活動20年になるのに何やってんだという思いです。
と同時に、まず自分も他人も信じる事、やりたい曲やりたい音楽をどんな場所でもガンガンやっていこうと確信が持てました。
終わってみれば、「お客様が来て下さった」「良い演奏ができた」「メンバーがノリノリでやってくれた」「オリジナルを楽しんで頂けた」「会場チロルさんが最後までサポートして下さった」という、自分の望んでいた事が全てかなった、それも自分の努力のおかげでなく向こうからこちらにやってきた感覚でした。本当にありがとうございました。”kiretto”はまた必ずやります。この土地の音にすごく合っていると思います。
最後に記した「望んだ事が向こうからやってくる」現象が最近増えてきたので、また別の記事に記します。
音楽は奏でている人が一人感動するものでなくやはり、聴く人にも感動が伝わるものでなくてはと私も思います。わかるものというより感じるものだと思います。でもいつでも聴いていてついわかろうとしてしまうのも人の常。でも、なんだかこころよい、なんだかドキドキする、なんだか泣きたくなる,なんだか元気になる、それが伝わる音のような気がします。抽象画は描く人が自分で勝手にタイトルをつけて表現します。音楽も抽象画のようにまったく何が言いたいのか題名を聞いても意味が分からない時もあるけど、なんだか心に響いてくるものもあります。いったいこれは何なんでしょう。でも、私はいつも太鼓の音ほど人間の心の奥に響いてくるものはないのではないかと思うときもあります。
返信削除コメントありがとうございます。
削除即興で、オリジナル曲で、楽器のみで、となると、おっしゃる通り抽象画や現代芸術に近い表現の仕方になってきます。伝え方や受け止め方を考え始めるときりがなく、ある時に「音を出した瞬間に音を手放して後は自由に楽しんで貰おう」という心構えに切り替えてたら、だいぶこちらも自由になれました。
とは言え、まだまだ手放しきれていなかったのがこの日のライブの印象で、その反省を記事にしました。
次回は同じ会場で、まさに打楽器のみのライブを行う予定です。人類史上で一番最初の楽器は打楽器であり、打楽器こそ最も心に響くというそのお言葉を有り難く頂戴し、次回に臨みたいと思います。