1月に久々に都内でリーダー企画をやります。エレクトリックベースの概念を覆し音楽の歴史にはっきりと一石を投じたJaco Pastoriusに捧げる一夜です。
ベーシストがジャコ・トリビュートをやるのはよくある事ですが、何故ドラムの私がジャコを?というわけで、橋本学のジャコ遍歴をざっと振り返ってみます。
・出会い
NHK-FMの本多俊夫さんの「ジャズ・クラブ」という番組を背伸びして聴いていたら「ドナ・リー」が流れたんですが、チョッパーじゃなかったので割とスルー気味でした。
・2度目の出会い
吹奏楽部の部室で「ワードオブマウス」の「クライシス」を、1足先にハマった後輩が流していて「なんじゃこりゃー!!」と大衝撃。全く訳が分からない音楽でしたが撃ち抜かれました。その後ウェザーリポート「ナイトパッセージ」の「ポートオブエントリー」を爆音で、その場に居合わせる気になるまでジャコを浴びまくり、ビル・ミルコウスキー著の伝記本を近所の本屋で取り寄せて穴が空くまで読み、デビューアルバムの「コンティニューム」に影響され高校の卒業文集にはジャコを実名で登場させた創作小説を書きました。恥ずかしい。
・受験浪人時代
ウェザーの「8:30」を聴きながら不安な浪人生活を案じ、「ライブ・イン・NY vol.4」の超高速「ティーンタウン」で受験ストレスを解消し、アルバート・マンゲルスドルフとの「トライローグ」のぶっといベース音にトリップしておりました。「トライローグ」の日本語ライナー「ヘイ・ジョー!あのトロンボーンプレイヤーはヤバイね。一緒にセッションできるようにちょっとアレンジしてくれよ!」「ディスコ通いをする数少ないジャズ・ミュージシャンであるため女性にモテて、狂乱のスウィングをする(以上ライナー引用)」アル・ムザーンのセリフ和訳がツボでした。
そんな事しながらも受験勉強の栄養源にしてちゃんと勉強しましたから。
先述の伝記本と音源から、ジャコはジャズとロックとR&B、そして故郷フロリダに程近いカリブの音楽を、実に節操なく優劣をつけずに吸収している事がわかりました。兼ねてからジャンルに壁を作ったり、ジャンルに優劣をつける、特にジャズ界における風潮に強い反発を覚えていた自分は「節操なく優劣をつけずに吸収」する点でジャコは大きな指針となり、振り返れば現在まで大きく変わっていないため、10代の頃のジャコとの出会いがその後の自分の音楽的方向性を決定づけ強化した事は間違いありません。
一方伝記本ではドラッグとアルコールで身を崩し音楽活動もままならない様子が赤裸々に書かれており、巻末インタビューにあったジョン・スコフィールドの「ケミカルからは何も生まれない」という言葉を真に受けて、絶対にドラッグはやらないと心に決めて今に至ります。
ちなみにその頃から自宅のアコギでR&Bスタイルのジャコのベースラインをなぞって弾いてみたりしていました。
・大学ジャズ研入学後
誰かが反応してくれるかと思いながらタワレコで買った「ジャコTシャツ」をいろんな所に着て出かけ、演奏していました。恥ずかしい。
パット・メセニーの「ブライト・サイズ・ライフ」やウェザーの「ヘヴィー・ウェザー」、ジョニ・ミッチェル「シャドウズ・アンド・ライト」等残りのディスコグラフィーをコンプリートしていきました。
共用のエレベが部室にあったため、夜な夜な1人になってから「コンティニューム」「アメリカ」などソロ曲を自分で弾いてみたりもしました。「ザ・チキン」ならセッションもできるくらい弾けるようになったかな。また、DCIの教則ビデオを買ったり、先輩からモントルージャズフェスやオーレックスジャズフェスの映像を見せてもらったり。今みたいにYouTubeが無い時代です。
この頃、訳が分からないドラマーだと思っていたジャック・ディジョネットにどハマりし、マイケル・ブレッカー、ウエイン・ショーター、ピーター・アースキンに続々とハマり、結局「ワードオブマウス」に全員入っているという現象が起きていました。
1996年にはハービー・ハンコックの「ニュー・スタンダーズ」を河口湖ステラシアターで生で見て熱狂した帰り道のジャズ研先輩の一言「ジャコと親しかったメンバーばっかりでジャコがそこに居るみたいだった」に大きく頷いた覚えがあります。マイケル、ハービー、ジャックの他にドン・アライアスも居ましたからね。前座バンドのドラマーは何とアースキンでした。
・プロ活動以降〜現在
「ホリデー・フォー・パンズ」に実はジャック・ディジョネット参加曲があるのを発見したり、ウェザーの公式未発表ライブ集「ライブ・アンリリースド」コンピの「レア・コレクション」「アーリー・イヤーズ」等はよく聴きました。
何よりデカかったのは織原良次との出会いでした。初めて出会った自分以上のジャコオタクでフレットレス・ベーシストで、しかも弾けるなんて最強じゃないか!初共演はギター関根彰良君のトリオ「初代Akirax」でしたが、深夜リハの途中から2人でジャコごっこになってしまい、バンマスがソファーで寝てしまったのをよく覚えています。
ただ彼も現役の1ベーシストであるため、ジャコからの影響と自分の音楽活動の狭間でその後ずいぶんと悩んだと思いますが、数々のステージ経験と研鑽を経てベース技能と対応力・自分のオリジナルな音色とアプローチを確立してそこを突き抜け、それでもジャコオタクを貫き通して現在に至ります。それが世に認められ、彼が一時期ベースマガジンで「ジャコ奏法」について連載していた事は本当に凄いと思います。ツアーに同行すると彼のファンは全国各地におり、同時に全国から彼の元へジャコ情報が集結しているように思います。
私橋本と織原良次は橋本学トリオを始め数々のユニットで一緒に演奏していますが、別にその現場でジャコのコピーをやっている訳ではなく、共演歴を重ねた結果、既にジャコを介さない境地でリズム・セクションかつ音楽・セクションが組めているように感じます。ただしジャコが居なければ出会わなかった2人というのは間違いないでしょう。
まあとにかく2人で話しているとだいたいジャコの話題です。もう15年くらいずっとです。伝記本の細かい文言についてとか。「このディスクは再考の価値もない」「倫理にもとる男」「ウッディ、コニャックをくれ!」とか、あの本は名訳ですね。
そんな織原良次が最近「ジャコ・パストリアス特集」的なライブを各所でやっている情報を見かけたり、ソロベースでジャコの曲を演奏している動画を見たりしまして、そろそろ自分もジャコへの積年の想いをぶちまけるタイミングかなと思いまして。織原良次を道連れに。