2013年6月2日日曜日

ジャズとは?〜ピットインでボイパをやる意味〜

 教則ブログの方に「○○ドラマーと名乗らない方がいい」という記事を書きました。関連して今でも「ジャズ・ドラマー」にカテゴライズされてしまう自分が「自分の考えるジャズ」を述べてみます。

 何故橋本がジャズをやり始めたかというと、「かっこいい硬派なフュージョンがやりたくて、そのためにはジャズの即興を勉強する必要がある」と思ったからです。
 で、ジャズ研に入り4ビートのスウィング、スタンダードというものを知り、始めたからにはかっこいいジャズがやりたくて自分なりに模索しました。
フュージョン狂だった頃からジャズを実際に演奏するようになった以降も一貫して、ジャズの魅力というのは自分にとって非常に限定されたものでした。それは「プレイヤーが興奮してギリギリのスリルを求め、崩壊一歩手前にまで行き着いたサウンド」でした。このサウンドは自由な、貪欲に何でも取り入れる実験精神の結果です。これこそがジャズだと思っていたので、4ビートでなくても良いし、電気楽器を使っていても良い。スタイルは何でも良かったのです。
 そんな思いが強かったので、プロになってから実際スリリングなバンドに多数呼ばれ、幸せな事に何度も忘れられない経験をさせてもらいました。ある意味、一つ目の夢は叶ったとも言えます。

 しかし最近、そのようなスリリングな魅力以外に、ジャズはもっと大切な魅力を持っているのではないかと思い始めています。

 それは、ダンス・ミュージックとしてのジャズ、エンターテインメントとしてのジャズです。
 スウィング・ジャズの時代、ジャズは紛れもなくダンス・ミュージックでした。いにしえのジャズ・ミュージシャン達は皆、一流のエンターティナーでした。
 時代が進み、ジャズに実験精神が増えれば増える程、ダンサブルなグルーヴ、エンターテインメント的要素は本当に薄れてしまいました。例外としてジャコ・パストリアスのようなエンターティナーでグルーヴ・メイカーもいましたが。
 そうして世界的に、現代ジャズの多くはただジャズ・ファンと楽器演奏者のためだけの音楽になってしまっているように、最近特に感じます。

 この現代ジャズ事情は自分にとって結構辛いものです。それを鑑て、自分を「ジャズ・ドラマー橋本学」と決して名乗らないのは、橋本学が楽しませたいのはジャズ・ファンだけじゃなく、お客様もノン・ジャンルであって欲しいからです。誤解を解く目的と自戒する目的との両方があります。
 もちろん、実験精神を極めた先人のミュージシャン達の遺産のお陰で今の自分があるのだし、それを「かっこいい、自分もああなりたい!」と思ってドラムに向かったお陰で今、なんとかお金を戴ける立場にいられていると思います。感謝の念は尽きた事がありません。

 しかし、これからの自分は、先人から学んだ自由で貪欲な実験精神に加え、グルーヴがダンサブルである事、自分自身がエンターティナーである事を決して忘れないようにして活動していきたいと思っています。

 最近自分が、日本のジャズ界を代表するライブハウス、新宿ピットインでボイパなぞやるのはこういう訳でした。

0 件のコメント:

コメントを投稿